相模鉄道株式会社とは
神奈川地盤の鉄道大手。09年4月ローゼン完全子会社化で流通を運輸・不動産に続く第3の柱に。
一般に略称である相鉄〈そうてつ、SOTETSU〉の名称で知られている。
== 会社概要 ==
相鉄グループの中核企業である。かつては安定した収益を見込める鉄道事業を軸に、バス事業、不動産事業や小売業なども自社で行っていたが、バブル崩壊以後はこれらを分社しており相模鉄道はこれらの統括を行うコンツェルンとして機能していた。さらに2009年には旧・相模鉄道をグループ統括だけを目的とする相鉄ホールディングスに商号を変更、鉄道事業については休眠状態だった完全子会社の株式会社に引き継がせる形で鉄道事業についても分社した。このため、現在東京証券取引所に上場しているのは持株会社の相鉄ホールディングスの方であり、相模鉄道はホールディングスの完全子会社という形になっている。
前述のように多角的な経営で知られ、かつては準大手私鉄の雄に分類されていたが、1990年5月31日付けで大手私鉄に格上げされた。大手16社の中では営業距離が最短であるとともに相鉄が大手に入る前は、1975年以降は阪神電気鉄道が最短であり、それ以前は京王電鉄(当時の京王帝都電鉄)が最短だった。、社員数が最も少ない会社でもある。首都圏の大手民鉄で唯一東京都内に乗り入れておらず、また他社との直通運転|相互直通運転も行っていないが、近年は他社との直通運転による都内乗り入れ構想が持ち上がっている。
労働組合の力が比較的強くストライキが計画されることの多い会社としても知られているが、近年は実行されることは稀で、直前撤回となることが多い。なお、相鉄労働組合(日本私鉄労働組合総連合会|私鉄総連加盟団体)の組合員には鉄道事業やバス事業以外のグループ会社の社員も含むが、電車・バスのストライキが主となる。また、このためか、鉄道車両技術には保守的な傾向が強く、他社では廃れていった技術を用いた鉄道車両が近年まで多くみられた。
== 歴史 ==
相模鉄道は、現在のJR相模線である茅ヶ崎 - 橋本間を開業した会社で、現在の相鉄本線にあたる横浜 - 海老名間を開業させたのは神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社である。1943年に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併されるが、翌年に元の相模鉄道の路線であった茅ヶ崎 - 橋本間が国有化され、元の神中鉄道であった区間が相模鉄道になった。以上が概要であるが、以下に年代を含め詳しく記述する。
=== 相模鉄道と神中鉄道 ===
相模鉄道は1917年12月に当時の高座郡茅ヶ崎町で設立され、1921年9月に茅ヶ崎駅(神奈川県茅ヶ崎市) - 寒川駅(同県高座郡寒川町)間を開業し、1931年4月に橋本駅 (神奈川県)|橋本駅(同県相模原市)まで全通した。- 水郷田名間のバス (交通機関)|乗合自動車事業も開始するなど意欲的であったが、業績が不振であったため、翌1941年6月に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、経営再建を図ることとなった大東急時代の名残で、東急資本でありながら「相鉄運輸」と称する企業が近年まであったが、2002年に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年にはティーエルロジコムへと社名変更している。
ファイル:Locomotive of Sagami Railway.JPG|thumb|200px|right|神中鉄道の機関車(相模鉄道の蒸気機関車#3形|3号機関車)および客車(ハ20形24号客車)
一方、神中鉄道は、鎌倉郡瀬谷村 (神奈川県)|瀬谷村(現在の横浜市瀬谷区)の素封家、小島政五郎らが中心となって起業し、奇しくも相模鉄道と同じ1917年12月に神中軌道、1919年6月に神中鉄道として設立された。こちらは厚木駅から建設を始め、1926年5月12日に二俣川駅|二俣川 - 厚木間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や相模川の砂利輸送の営業を行った。
神中鉄道の開業当時は、厚木・相模国分信号所|相模国分・相模大塚駅|相模大塚(さがみ野1号踏切北側のマンションの場所にあった)・大和駅 (神奈川県)|大和・瀬谷駅|瀬谷・二ツ橋駅|二ツ橋(三ツ境2号踏切から海老名方50m付近)・三ツ境駅|三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。
二俣川駅から先は細切れに延長されたが、業績は不況下で低迷した。->の傘下に入り、再建を図ることとなった。
1941年1月20日には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5km)に着手し、同年11月25日に完成した。同時に小田急小田原線相模厚木駅(現・本厚木駅)へ気動車|ディーゼル自動客車での乗り入れを開始し(1964年11月5日中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、小田急電鉄|小田急は1943年3月31日まで同社の海老名国分駅を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200m程の位置)の共同使用駅|共同使用まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い相鉄厚木線|厚木線は貨物輸送のみとなった。
=== 相模鉄道による神中鉄道の吸収合併 ===
こうして、前述の厚木で隣接していた両社は同じ東急の傘下に入る。同年4月には経営合理化のため相模鉄道が神中鉄道を吸収合併、それぞれ「相模鉄道相模線」、「相模鉄道神中線」となる。しかし、1944年6月に戦時体制下における東海道本線と中央本線間のバイパス路線として相模線が戦時買収私鉄|国有化されて鉄道省に編入されたために、神中線部分のみが相模鉄道(以下相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、厚木海軍飛行場|厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、1945年6月から1947年5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。
=== 東急からの独立とその後の躍進 ===
1947年6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。
その後1952年に、米国のスタンダード・オイル社から横浜駅西口の土地24688m²を買収。これを開発し付加価値をつけて売り出すことで相鉄の経営基盤を安定的にするものとなった。後にこの地に高島屋|横浜高島屋や相鉄ジョイナスといった系列のデパートが立つことになる。不動産事業の他にも高度経済成長の時代であり鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、1960年前後に小田急電鉄を通じて東急グループが再買収の動きを起こした。東急は鉄道よりもむしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営を立て直した矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には川又社長も憤慨し、川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働き掛け、また三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この名残で相鉄のメインバンクは現在も三井住友銀行となっており、株主|筆頭株主が小田急電鉄となっている。後にこの一件が引き金となって東急の多摩田園都市開発に対抗し、相鉄いずみ野線|いずみ野線沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で二俣川東急ニュータウンや東急中白根|白根ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、1942年6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600V電化されたのを皮切りに、1943年8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、1946年12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も1949年11月に行われた。全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年1月に墜落したアメリカ海軍|米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年と1962年にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年4月にはかしわ台車両センター|かしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年3月となった。
=== いずみ野線の建設と大手私鉄への加盟 ===
1970年代に入り、運輸政策審議会の答申により平塚市方面への新線となる相鉄いずみ野線|いずみ野線を建設することになる。まず1976年4月に二俣川駅 - いずみ野駅間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、1990年4月にいずみ中央駅まで延伸された。この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たしたため、同年5月31日には正式に大手民鉄としての認定を受けている。この開発には前述のように東急への対抗心があったとされ、「東急田園都市線と多摩田園都市構想」に対しての「いずみ野線と緑園都市構想」と言われている。また、この時期は車両の冷房化を促進した。
同時期、日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の国鉄職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの果たせなかった。当時の相模線が、営業係数400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま1987年4月1日にJR東日本へ継承され、1991年3月16日に電化されている。
=== バブル崩壊以後 ===
バブル崩壊以後の近年は大きくなったグループ再編が目立つ。不採算事業からの撤退・売却はもちろん、主力業種についても相次いで分社化がすすめられ、相鉄バスや相鉄不動産となった。そして、2009年には前述のようにグループ統括事業を相鉄ホールディングスに任せ、鉄道事業を分社している。2004年には連絡線の建設による他社路線を介した都内への直通構想を発表しており、2010年に着工した(神奈川東部方面線計画を参照)。この連絡線は既存のターミナルとしてきた横浜駅を経由せず、同駅を基盤に発展してきた相鉄としては苦渋の選択だったといわれるが、開通すれば沿線と都心が乗り換えなしで結ばれることになる。
== 安全対策への姿勢 ==
1968年(昭和43年)に瀬谷駅構内で車両同士の衝突事故を起こしており、それ以来全線に自動列車停止装置|ATS(自動列車停止装置)を設置している。2005年の福知山線脱線事故を機にATSの追加設置などが行われた。また、近年では運転士が意識を失っても車両の暴走を止める緊急列車停止装置|EB装置の設置が進んでいる。
車両以外の対策としても近年進んでおり、特に鉄道人身障害事故などのホームからの転落事故を防ぐ目的で横浜駅のホームに柵を設置したり、万が一転落した時避難するスペースを確保したりする工事が進んでいる。また、視覚や聴覚に障害を持つ人のためにすべての駅に文字と音で列車の接近を知らせる接近案内表示器を設置している主要駅に設置されている発車標は新陽社製を、中間駅の接近案内表示器は京三製作所製をそれぞれ採用している。横浜駅では乗車ホームに発車標が、降車ホームに接近案内表示器がそれぞれ設置されている。また、かつて海老名・大和・いずみ中央の各駅では日本信号製の発車標を使用していた。。
== 路線 ==
以下の3つの路線を持ち、すべての路線が鉄道の電化|電化されている。一般には相鉄線と呼ばれる。
相鉄本線|本線: 横浜駅 - 海老名駅 24.6km
相鉄いずみ野線|いずみ野線: 二俣川駅 - 湘南台駅 11.3km
相鉄厚木線|厚木線: 相模国分信号所 - 厚木駅|厚木操車場 2.2km(貨物運輸〈廃止〉・車両回送・車両搬入のみ)
このうち、一般の旅客が利用できるのは本線といずみ野線のみである。厚木線は本来貨物線であり、イベント時を除いて旅客は利用することができない。このほかにも1948年9月に西横浜駅から保土ヶ谷駅|国鉄保土ヶ谷駅(貨物駅)までの貨物線を開通させていたが、SM分離|東海道線・横須賀線の分離による東海道貨物線の移転とともに1979年10月をもって廃止された。
近年発生が予想される東海地震では、警戒宣言が発令された場合に本線の大和駅 (神奈川県)|大和駅 - 海老名駅間で列車の運行が中止されることになっているhttp://www.pref.kanagawa.jp/osirase/saigai/toukai_jouhou/toukai_jouhou.html 東海地震の情報と対策 神奈川県。
== 鉄道車両 ==
=== 特徴 ===
電車に関しては、主に1950年代半ばまでの中古車時代、以後2000年代初頭までの自社開発車時代、2000年代初頭以後の他社の亜流車時代に分けられる。以下では主に「自社開発時代」の「電車」について記す。
なお、2010年8月現在、鉄道友の会から賞を受けた車両は1系列も存在しない(大手私鉄では阪神電気鉄道も同様)。
==== 製造メーカー ====
蒸気機関車については初期は国外製、のちに国産に切り替えられた。続く気動車の時代は日本車両製造と汽車製造(現:川崎重工業)といった蒸気機関車時代の取引先との関係を続けた。
電車の自社開発が始まった1950年代以降は、新造車の発注は日立製作所へ、大規模な改造は地元の神奈川県に工場を持つ東急車輛製造へ統一するようになり、これが長く続いていた。しかし、1990年代以降は東急車輛製造へ新造車を発注するようになり、2000年代にはJRの製造工場である新津車両製作所へも、JR東日本の亜流車両を発注するようになった。近年は東急車輛と新津車両のみで新造しており、日立への新造車発注は、現在の所2000年が最後である。
主制御機器(モーターの制御装置)、電動機(モーター)、電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)などの艤装品は日立のほかにも東洋電機製造、三菱電機や日本エヤーブレーキ(現:ナブテスコ)などのメーカーも参加している。
相鉄グループ全体でエレベーターやエスカレーターはもちろん、蛍光灯などの小物類まですべてが日立製であった時期があった。これには初の自社開発車両を日立に発注したからという逸話がある同社のプレゼンテーション|デモンストレーションとしての意味合いが大きい。類似例では全線開通に際して資金面などの協力を受けた新京成電鉄と三菱電機、阪急電鉄と東芝プラントシステム株式会社.html>東芝、京阪電気鉄道と東洋電機製造との関係や、車両メーカー主導による交通システム実用化路線である東京モノレール(日立製作所)・湘南モノレール(三菱重工業・三菱電機)などの例がある。
==== 車体外観 ====
戦中戦後のころは経営基盤も弱く車両は他社の中古車両が主体であり、そのデザインも直線基調の無骨なものばかりで塗装も地味なものであった。
最初の転機は1955年に初の自社開発電車、相鉄5000系電車|初代5000系電車の登場である。この車両は当時流行の丸みを帯びた「湘南顔」と言われる前面を持つなど、スタイリングに工夫があった。しかし、当時の日本は高度経済成長に突入し、漸次増える輸送量に対して車両には柔軟な運用が求められており、構造上連結面に貫通扉を設置が困難な5000系は編成組み換えの自由度が低く、次に登場する相鉄6000系電車|6000系電車ではこの点を改善し、直線基調で分割・併合のしやすい、機能を重視したデザインに変更された。これが以後20年の相鉄の標準デザインとなってゆくが、編成を組みかえる事がほぼ無くなり、1980年代からは再びスタイルを重視し、相鉄7000系電車|新7000系電車では流行のデザインを取り入れ、1990年代には左右非対称で丸みを帯びたスタイルを相鉄8000系電車|8000系電車や相鉄9000系電車|9000系電車で採用した。
車両の配色については一貫性がないのが特徴であった。1950年代、60年代の車両は紺色を基調に灰色や赤でアクセントをつけた複雑なデザイン。1970年代以降に導入された軽量性に優れるアルミニウム合金を素材とした車両は、アルミ地の銀色にアクセントとしてオレンジ色を配し、今までの車両とは全く印象の異なるカラーリングで登場。普通鋼製の車両も、1970年代に淡い緑を基調とした明るい配色に塗り替えられており、ここ30年は緑色系統とオレンジ色系統の2種が混在している状態が続いていたが、JRと東急への直通運転が決まったことでCIを導入し、車体の配色をCIで制定されたグループカラーへ統一することが発表された。新しい配色は青色と黄色みの強いオレンジ色を用いており、今後はこの配色が標準カラーとなる予定である。
車両の幅(車両限界)はJRの在来線とほぼ同等で、他の大手私鉄の路線よりも大きめである。これは第2次世界大戦後の混乱期に運輸省から割り当てられた国鉄63系電車|63形電車を導入したことによるもので、このとき鉄道施設を63形の走行に基準を合わせている。このため、1970年代から幅広の車両が度々導入されている。一部の古い車両では側面の「行き先の駅名」の表示ができず、「急行」や「各停」といった列車種別の表示のみとなっている。路線が短く、ダイヤパターンが「急行」は本線直通、「各停」は支線(いずみ野線)直通と非常に単純だったころの名残である。
ファイル:Sotetsu-6021-inside.jpg|thumb|200px|right|ヒートポンプ式冷暖房機搭載車の車内(6021号)
屋根上にはエア・コンディショナー|冷房装置や集電用の集電装置|パンタグラフが設置されている。相鉄の冷房装置は基本的に大きな集中式冷房装置|集中式が一つ搭載されているだけであるが、9000系のみ集約分散式冷房装置|集約分散式が採用された。なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、1987年(昭和62年)には、戦後の新規開業路線を除いた関東地方の私鉄で初めて、冷房化率100%を達成している。一部の車両についてはヒートポンプを用いたものを試行し、のちにこれを採用した車両もある。集電装置|パンタグラフについて、1975年までの新車は国鉄旧形電車の車両形式|旧型国電車両等に使われていたPS-13形を搭載していた。通常ではパイプ製であるが、この旧式のPS-13形パンタグラフは鉄板製だった。また、相鉄ではパンタグラフを車両形式ごとに固定されておらず、全形式で使い回されていたため、最新鋭車両に旧式のPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。しかし、新しいタイプのシングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、1994年には実車試験も始められており、2000年代には採用車両が増えてきている。
==== 車内設備 ====
他社に比べて特異な車内設備が多い。
相鉄にはパワーウィンドウ仕様の車両が多く存在する。今日の自動車では標準的な装備だが、鉄道車両には極めて珍しい。相鉄では1970年代初めに日本の一般営業用車両として初めて採用し、のちに関西の私鉄などがこれに追従した。4扉の通勤形電車では珍しい鉄道車両の座席|セミクロスシート(ボックスシート+ロングシート)を編成中混雑度が低い2両に採用された。のちにJR東日本が、それまで首都圏の近郊形車両として3扉車に採用していたセミクロスシートをJR東日本E217系電車|E217系電車など、相鉄同様の4扉車にも採用された。車内に数枚備え付けられた紙の寸法|B5版ほどの鏡も、他社では江ノ島電鉄などにしか見られない設備である。一部の古い形式では、扇風機のスイッチが各車両の海側の各ドア右側に一つずつ設置されており、乗客が自由に扇風機の作動させることができるようになっている他社では、乗務員室に設置されており、車掌が一括で操作することが多い。。
==== 走行設備 ====
他社に比べて新技術の採用に乏しく、非常に保守的であった。
終戦からの中古車主体の頃の台車は主に日本国有鉄道|国鉄型(DT-10系やDT-13など)や住友金属工業|住友KS-30Lなどのいわゆるイコライザー・タイプのものが使用されていたが、5000系から採用された物は「直角カルダン駆動方式|直角カルダン駆動」や「電磁直通ブレーキ」など当時の最新技術を盛り込んだ意欲作であった。しかし、技術が進歩するなか、他社では廃れた後もこれらの技術に固執し、近年まで採用を続けていた。同時に技術の革新から取り残され、またコスト面でも不利であった。以下はそれらの中の代表的な例。
直角カルダン駆動 (他社ではカルダン駆動方式|平行カルダン駆動に移行)
車輪外側に設置したディスクブレーキ (一般的なディスクブレーキは車輪内側に設置されるが、直角カルダン駆動の構造上外側に設置せざるを得なく、バネ下加重が増している。)
日立式電磁直通ブレーキ (これは指令伝達方式が非常に珍しく、日立が開発した独自規格。正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」)
モーターの制御方式は電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御
このうち後者2つは1990年代前半までに解消されたものの、前者2つは最後まで固執し続けていた。なお、モーターの制御方式は国鉄やほかの大手私鉄では一般的であったチョッパ制御を経ずに、可変電圧可変周波数制御に移行が進んだ。
==== 車両の標準化 ====
このように特殊な設備が多かった相鉄の車両であるが、2002年(平成14年)の相鉄10000系電車|10000系電車は、思想を180度方針転換したものとなった。この車両は大手私鉄では一般的な「車両はオーダーメイド」という慣習には沿わず、他社がすでに運行している車両を基に設計したもの、つまりレディ・メイドのものを細かい部分のみ、自社向けにアレンジして導入したものである。これは最新技術を低コストで成し遂げる方法としては一般的な方法だが、当時の大手私鉄では例のないことであった。「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」が制定され、他の大手私鉄にも影響を与えた。
==== 地方私鉄への譲渡 ====
自社で車両を新造するようになってからは、上記の技術的特徴や、大手私鉄で最も大きい車両限界等を理由に、地方の私鉄や日本国外への車両払い下げ自体が敬遠されている。1970年代に伊豆箱根鉄道へ旧型車2000系の車体を転出(150形、事業用として1両が残存→「伊豆箱根鉄道モハ151形電車」参照)した以降は、転出や譲渡の例がない。
過去には、地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあり、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残している。
=== 車両番号の付け方 ===
10000系までの電車では鉄道の車両番号|車両番号には車両の役割に応じたものを付けるようにしており、百の位の数字で区別できるようになっている。例外もあり詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下に主な例を示す。
000番台…横浜側に組成される制御車|制御電動車(例:6000系の6021、5000系の5053)
100・200・300番台…中間動力車|電動車(例:8000系の8119、8000系の8219、10000系の10301)
500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9000系の9502)
600番台…中間付随車(例:5000系の5657)
700番台…横浜側に組成される制御車(例:7000系の7703)
ただし、2008年秋から導入した相鉄11000系電車|11000系電車は第一編成が横浜側から11001,11101…11901、第二編成が同11002,11102…11902と順番に番号を振られている。すなわち末尾の数字が編成を表し、百位の数字が編成中の号車を表す(1号車は0、2号車は1、…、10号車は9)ものに変更されており、この番号の付け方の法則は成り立たない。
=== 現有車両 ===
事業用の車両を含め、現在在籍するすべての系列は電車である。各系列の在籍期間、車両数、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。前述のように、現在車両の塗装変更が進んでいる。
乗客の増加とともに、1編成当たりの車両数を徐々に増やし、1980年代前半からは10両編成を中心に製造してきたが、近年は利用者の減少などで2002年の10000系20両以来中断されたていた。しかし、JR直通を意識して2009年に登場した11000系では、再び10両編成車の製造が行われている。かつては相模川の砂利やセメント輸送、米軍基地の貨物輸送を行っていた関係で、貨車や電気機関車も在籍していた。ただし、多くの貨車は私有貨車であったために、相模鉄道として所有するものは少ない。また、前述のように近年の車両は走行設備が特殊な車両が多く、地方私鉄への譲渡車両は30年以上全く出ていない状況が続いている。
==== 一般型車両 ====
相鉄11000系電車|11000系 - JR東日本の通勤型車両をベースにした車両
相鉄10000系電車|10000系 - 同上
相鉄9000系電車|9000系
相鉄8000系電車|8000系
相鉄7000系電車#新7000系|新7000系
相鉄7000系電車|7000系
File:Sagami Railway 11000 Sagami-Otsuka for Yokohama.jpg|11000系
File:Sagami_Railway_10000.jpg|10000系
File:Sotetsu 9000 new.jpg|9000系
File:Soutetu8000 newcolor.jpg|8000系
File:Sotetsu-new7000.jpg|新7000系
==== 事業用車両 ====
相鉄7000系電車#事業用車(モヤ700形)|700系 - 7000系から改造された計測・救援用電車
このほかに車籍は有しないものの、各種保線用のモーターカーがある。
=== 廃系列 ===
相模鉄道の蒸気機関車
相模鉄道の気動車
相模鉄道の客車
==== 一般型車両(電車) ====
相鉄6000系電車#新6000系|新6000系
相鉄6000系電車#旧6000系|旧6000系 - 2両がかしわ台車両センターに静態保存されている。
相鉄5000系電車|5000系
相鉄3000系電車|3000系
相鉄2000系電車|2100系
相鉄2000系電車|2000系モハ2000形 - 一部をモニ2000形や2100系に改造した。一部伊予鉄道や伊豆箱根鉄道へ転出及び譲渡。
相鉄1000系電車|1000系
==== 事業用車・貨車 ====
相鉄2000系電車|2000系モニ2000形 - 事業用電車(元は旅客車両で荷物電車を得て事業用に改造)。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄ED10形電気機関車|ED10形 - 電気機関車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄トフ400形貨車|トフ400形 - 貨車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄トム260形貨車|トム260形 - 貨車。
相鉄トム600形貨車|トム600形 - 同上。
相鉄ホキ800形貨車|ホキ800形 - 同上
。
=== 車両基地・工場 ===
車両工場を1つ持ち、いくつかの駅に隣接して車両基地(留置線)がある。
かしわ台車両センター - かしわ台駅に隣接する相鉄の全車両の検査や改造を扱う工場、および相鉄最大の車両基地。
西横浜駅 - 列車留置の機能のみ。
相模大塚駅 - 同上。
厚木駅 - 同上。相鉄公式には厚木貨物駅と称される。
このほかにいくつかの駅では車両の夜間滞泊が行われる。
=== 乗務員区 ===
かしわ台車掌区
「車掌|旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線)、不足賃|乗り越し精算、連絡運輸#連絡乗車券|他社線連絡乗車券の発売などを行っており、大手私鉄、特に料金不要の列車しか運行していない会社では、珍しい存在になりつつある。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。人員削減や合理化により車掌の車内巡回そのものを取りやめる会社が増える中、乗客サービス専門の車掌が車内を巡回する姿は貴重となっている。
== 乗車券 ==
=== 運賃 ===
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center"
|-
!キロ程!!運賃(円)
|-
|初乗り3km||140
|-
|4 - 7||170
|-
|8 - 11||190
|-
|12 - 15||220
|-
|16 - 19||250
|-
|20 - 23||270
|-
|24 - 25||300
|}
いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center"
|+いずみ野線運賃加算額
|-
|乗車キロ数||6kmまで||7 - 9km
|-
|二俣川 - いずみ中央||20円||40円
|-
|いずみ中央 - 湘南台||colspan="2"|30円
|}
各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。
=== 1日乗車券 ===
2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大されている。
さらに、2007年7月1日からは横浜都心部の横浜市営地下鉄ブルーラインと横浜市営バスが乗り降り自由な「相鉄発 みなとぶらりチケット」を横浜駅と湘南台駅を除く各駅で発売している。
=== フリーパス ===
相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。
箱根フリーパス|箱根フリーパス・箱根ウィークデーパス
江の島・鎌倉フリーパス
=== 特別乗車券 ===
==== ゆめきぼ切符 ====
自社路線に存在する希望ヶ丘駅とゆめが丘駅の間の乗車券で、駅名にかけて「夢と希望を結ぶ」として縁起物として売り出しているものである。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されている。年中販売しているのだが、特に受験シーズンは人気で、この時期になると、購入者に特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置され、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。
==== 特製入場券 ====
特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。昔の駅舎写真を印刷したはがき#無地はがきと絵はがき|ポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。
== 今後の予定・計画 ==
=== 立体交差事業 ===
和田町駅東方から天王町駅(保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの連続立体交差事業が着工されており、2012年度に竣工する予定である。完成後は星川駅 (神奈川県)|星川駅が2面4線(現在と同じ)、天王町駅が島式ホーム1面2線の高架駅にそれぞれ改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は西横浜駅へ移転した。なお、天王町駅は1968年から、2面2線の高架式ホームとなっている。
=== 東京都心方面への乗り入れ計画 ===
かつて運輸政策審議会の答申による「神奈川東部方面線」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して新横浜駅までを建設し、東京急行電鉄が東急東横線|東横線大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅から新横浜駅まで新線を建設。これら2路線を接続させて直通運転|相互直通運転を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。
その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに2006年には東急との相互直通運転も実施すると発表され、JRとの相互直通運転を「相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「神奈川東部方面線」(いずれも仮称)を形成することとした。なお、東急との接続路線は当初予定されていた東横線から東急目黒線|目黒線に計画が変更されている。
=== 特急の導入計画 ===
前述した神奈川東部方面線計画と関連し、本線全区間において通過運転を行う新たな列車種別|種別として「特別急行列車|特急」の導入が検討されている。そのため、瀬谷駅を上り線のみ待避可能な2面3線から上下線待避可能な2面4線に整備する工事を行っている。これは、横浜駅を経由しない神奈川東部方面線が実現すると、同駅が空洞化されるのではないかとの声があることから、相鉄グループ全体を挙げてのプロジェクトの一環である2009年11月1日付東京新聞より http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20091101/CK2009110102000060.html。
=== 海老名駅の改築 ===
近年のバリアフリー化に伴い、エスカレータとエレベーターの設置を順次進めている。中でも、海老名駅については小田急と相鉄の駅舎がともに老朽化し、かつ手狭にもなっていることから、新しい駅舎を建設することになった(小田急は新築、相鉄は一部改良)。その際に当時の厚木市長の呼び掛けで両者関係者出席の下で相鉄の駅から小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関するシンポジウムが開催されたが、海老名駅の新築計画が白紙になることや、相鉄の筆頭株主である小田急側が難色を示していることもあり、今後の動向が注目されている。これは、相鉄側の主張によると、小田急線のみならず、他社線との相互直通については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため、今後の研究課題としている。しかしながら、
# 車両や運転保安設備などに互換性がない。
# 小田急とのダイヤ調整が必要である。
# 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。
などの課題があり、実現性が乏しいとしている。
そのような中で、横浜駅に次ぐターミナル駅でもある海老名駅のホームを改修し、幅をおよそ4割拡張する。2007年秋から仮設乗り場の建設を行っており、当初は2008年9月までに完成させることが発表されたが、工事が遅れ翌2009年6月に竣工した。
=== その他の予定・計画 ===
神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR東海道本線平塚駅|平塚間の延伸計画もあるが、こちらは上記の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。2009年には、相鉄による本延伸計画の免特許期限が切れたが、10年延長されている。また、採算性の問題などから同区間内を大型の鉄道ではなくコストが比較的安価なライトレール|LRTにより結ぶべきという声もある。
本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設し、複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。
駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーを取り入れ、発光ダイオード|LED照明を利用した省エネルギー|省エネタイプのものに順次交換予定である(平沼橋駅の横浜寄り1か所の駅名標もこの仕様)。このサイン計画はかつての営団地下鉄や横浜高速鉄道みなとみらい21線|みなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部に中国語や朝鮮語|韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。将来に備えてか、さがみ野駅の横浜方面の案内板には「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が見られた事もあったが、その後「大和 二俣川 横浜方面」に変更された。
各駅に冷暖房完備の待合室を設置する予定である。
== 提携など ==
東日本旅客鉄道 - 相互乗り入れ予定
東京急行電鉄 - 同上
東京地下鉄 - 南北線からは乗り入れ予定、東京地下鉄副都心線|副都心線からは未定
東京都交通局 - 相互乗り入れ予定
埼玉高速鉄道 - 同上。これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。
東武鉄道 - 未定
== 関連する作品 ==
百獣戦隊ガオレンジャー - スーパー戦隊シリーズ25作目で、相鉄の駅の数と同じことから2001年にタイアップして同社でスタンプラリーが実施された。
早春スケッチブック - 1983年に放送されたフジ日本精糖株式会社.html>フジテレビジョン|フジ日本精糖株式会社.html>フジテレビ系列のテレビドラマ。本線希望ヶ丘駅周辺が舞台。
天才柳沢教授の生活 - フジ日本精糖株式会社.html>フジテレビ系列のテレビドラマ。作中の柳沢教授の自宅最寄り駅は希望ヶ丘駅である。
コータローまかりとおる! - 週刊少年マガジンに1982年から1994年連載された漫画。著者である蛭田達也にゆかりのある地名「鶴ヶ峰」「阿久和」「希望が丘」等の名称が多く見られる。
== 関連項目 ==
相鉄グループ
相鉄バス
相鉄ホールディングス
== 脚注 ==
== 参考文献 ==
『相鉄七十年史』相模鉄道
長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 ジェイティービー|JTBパブリッシング 2004年 ISBN 4-533-05622-9
== 外部リンク ==
http://www.sotetsu.co.jp/ 相模鉄道ホームページ
http://www.sotetsu.co.jp/train/into_tokyo/ 相模鉄道 都心直通プロジェクト
http://www.sotetsu-lu.or.jp/ 相模鉄道労働組合
http://ameblo.jp/shin-stkrouso/ 新相鉄労働組合
相模鉄道|
国有化された日本の鉄道事業者
大手私鉄・準大手私鉄
日本の鉄道事業者
西区 (横浜市)の企業
相鉄グループ|
en:Sagami Railway
ko:사가미 철도
zh:相模鐵道
一部参照元: Wikipedia
スポンサーサイト- 社名:相模鉄道株式会社
- 証券コード:9003
- 連結事業:【連結事業】運輸業15(15)、建設業5(-2)、流通業48(0)、不動産業22(20)、レジャー・サービス業11(2)(2008.3)
- 本社所在地:〒220-0004 横浜市西区北幸2-9-14
- 電話番号:045-319-2054
- 業種分類:陸運業
- 英文社名:SAGAMI RAILWAY Co.Ltd.
- 代表者名:鳥居 眞
- 設立年月日:1918年1月4日
- 市場名:東証1部
- 上場年月日:1949年5月
- 決算:3月末日
- 単元株数:1000株
- 従業員数(単独):1579人
- 従業員数(連結):6056人
- 平均年齢:43.1歳
- 平均年収:7680千円
- 相場欄名:相鉄
- 資本金:31,162(百万円) (2009/3)
- URL:www.sotetsu.co.jp
相模鉄道の最近のニュース
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一般に略称である相鉄〈そうてつ、SOTETSU〉の名称で知られている。
== 会社概要 ==
相鉄グループの中核企業である。かつては安定した収益を見込める鉄道事業を軸に、バス事業、不動産事業や小売業なども自社で行っていたが、バブル崩壊以後はこれらを分社しており相模鉄道はこれらの統括を行うコンツェルンとして機能していた。さらに2009年には旧・相模鉄道をグループ統括だけを目的とする相鉄ホールディングスに商号を変更、鉄道事業については休眠状態だった完全子会社の株式会社に引き継がせる形で鉄道事業についても分社した。このため、現在東京証券取引所に上場しているのは持株会社の相鉄ホールディングスの方であり、相模鉄道はホールディングスの完全子会社という形になっている。
前述のように多角的な経営で知られ、かつては準大手私鉄の雄に分類されていたが、1990年5月31日付けで大手私鉄に格上げされた。大手16社の中では営業距離が最短であるとともに相鉄が大手に入る前は、1975年以降は阪神電気鉄道が最短であり、それ以前は京王電鉄(当時の京王帝都電鉄)が最短だった。、社員数が最も少ない会社でもある。首都圏の大手民鉄で唯一東京都内に乗り入れておらず、また他社との直通運転|相互直通運転も行っていないが、近年は他社との直通運転による都内乗り入れ構想が持ち上がっている。
労働組合の力が比較的強くストライキが計画されることの多い会社としても知られているが、近年は実行されることは稀で、直前撤回となることが多い。なお、相鉄労働組合(日本私鉄労働組合総連合会|私鉄総連加盟団体)の組合員には鉄道事業やバス事業以外のグループ会社の社員も含むが、電車・バスのストライキが主となる。また、このためか、鉄道車両技術には保守的な傾向が強く、他社では廃れていった技術を用いた鉄道車両が近年まで多くみられた。
== 歴史 ==
相模鉄道は、現在のJR相模線である茅ヶ崎 - 橋本間を開業した会社で、現在の相鉄本線にあたる横浜 - 海老名間を開業させたのは神中鉄道(じんちゅうてつどう)という会社である。1943年に神中鉄道は相模鉄道に吸収合併されるが、翌年に元の相模鉄道の路線であった茅ヶ崎 - 橋本間が国有化され、元の神中鉄道であった区間が相模鉄道になった。以上が概要であるが、以下に年代を含め詳しく記述する。
=== 相模鉄道と神中鉄道 ===
相模鉄道は1917年12月に当時の高座郡茅ヶ崎町で設立され、1921年9月に茅ヶ崎駅(神奈川県茅ヶ崎市) - 寒川駅(同県高座郡寒川町)間を開業し、1931年4月に橋本駅 (神奈川県)|橋本駅(同県相模原市)まで全通した。- 水郷田名間のバス (交通機関)|乗合自動車事業も開始するなど意欲的であったが、業績が不振であったため、翌1941年6月に東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)の傘下に入り、経営再建を図ることとなった大東急時代の名残で、東急資本でありながら「相鉄運輸」と称する企業が近年まであったが、2002年に東急運輸を合併して東急ロジスティックとなり、2006年にはティーエルロジコムへと社名変更している。
ファイル:Locomotive of Sagami Railway.JPG|thumb|200px|right|神中鉄道の機関車(相模鉄道の蒸気機関車#3形|3号機関車)および客車(ハ20形24号客車)
一方、神中鉄道は、鎌倉郡瀬谷村 (神奈川県)|瀬谷村(現在の横浜市瀬谷区)の素封家、小島政五郎らが中心となって起業し、奇しくも相模鉄道と同じ1917年12月に神中軌道、1919年6月に神中鉄道として設立された。こちらは厚木駅から建設を始め、1926年5月12日に二俣川駅|二俣川 - 厚木間を開業させた。その2か月後の7月には寒川方面から厚木駅に乗り入れた相模鉄道と接続し、旅客輸送や相模川の砂利輸送の営業を行った。
神中鉄道の開業当時は、厚木・相模国分信号所|相模国分・相模大塚駅|相模大塚(さがみ野1号踏切北側のマンションの場所にあった)・大和駅 (神奈川県)|大和・瀬谷駅|瀬谷・二ツ橋駅|二ツ橋(三ツ境2号踏切から海老名方50m付近)・三ツ境駅|三ツ境・二俣川の各駅で営業を開始した。相鉄社内報(1977年10月)に掲載されている座談会によれば、開業当時の話として「二俣川駅には駅長と駅手4名の合計5名。厚木駅には、運輸課長代理兼務の駅長と助役2名、駅夫4名、出札掛1名、車掌2名がいた。中間駅は、駅長と出札・改札を兼ねた駅手1名の2名のみ。全線でも26名しか駅にはいなかった。」とある。また、「機関庫には、機関士と機関助手、検査掛、炭水夫がいた。」とも話している。
二俣川駅から先は細切れに延長されたが、業績は不況下で低迷した。->の傘下に入り、再建を図ることとなった。
1941年1月20日には相模国分駅から海老名駅への新線建設(0.5km)に着手し、同年11月25日に完成した。同時に小田急小田原線相模厚木駅(現・本厚木駅)へ気動車|ディーゼル自動客車での乗り入れを開始し(1964年11月5日中止)、神中鉄道発足時からの悲願であった厚木町(現・厚木市)乗り入れを他社線直通運転ながら達成した。しかし、小田急電鉄|小田急は1943年3月31日まで同社の海老名国分駅を移転せず、海老名駅(現在より新宿方に200m程の位置)の共同使用駅|共同使用まで客扱いをせずにいた。また、神中鉄道の海老名延長に伴い相鉄厚木線|厚木線は貨物輸送のみとなった。
=== 相模鉄道による神中鉄道の吸収合併 ===
こうして、前述の厚木で隣接していた両社は同じ東急の傘下に入る。同年4月には経営合理化のため相模鉄道が神中鉄道を吸収合併、それぞれ「相模鉄道相模線」、「相模鉄道神中線」となる。しかし、1944年6月に戦時体制下における東海道本線と中央本線間のバイパス路線として相模線が戦時買収私鉄|国有化されて鉄道省に編入されたために、神中線部分のみが相模鉄道(以下相鉄)として存続するという憂き目にあう。こうして経営基盤とも言える相模線を失う一方で、厚木海軍飛行場|厚木飛行場の開設などにより神中線の乗客や貨物輸送は急増した。しかしながら、脆弱な神中線の輸送力はもはや限界であり、これを克服するにはもはや相鉄の手には負えない事態となってしまった。このため、1945年6月から1947年5月までの間に親会社である東急へ鉄道事業一切を委託し、戦時下終戦直後の混乱期を乗り切ることとなった。この当時、現在の本線は「東急厚木線」または「東急神中線」と呼ばれていた。
=== 東急からの独立とその後の躍進 ===
1947年6月に東急から派遣されていた川又貞次郎ら役職員は、経営民主化を理由に東急が保有する相鉄株式を取得して、ここに東急から独立し、厚木線(東急委託時代に神中線から改名)を新たな経営基盤として戦後の再スタートを切ることとなった。
その後1952年に、米国のスタンダード・オイル社から横浜駅西口の土地24688m²を買収。これを開発し付加価値をつけて売り出すことで相鉄の経営基盤を安定的にするものとなった。後にこの地に高島屋|横浜高島屋や相鉄ジョイナスといった系列のデパートが立つことになる。不動産事業の他にも高度経済成長の時代であり鉄道事業も順調に進んでいった。しかし、1960年前後に小田急電鉄を通じて東急グループが再買収の動きを起こした。東急は鉄道よりもむしろこの横浜駅西口の土地が目当てであった。相鉄の経営を立て直した矢先に買収を仕掛けてきた東急の行動には川又社長も憤慨し、川又社長以下経営陣は既存株主に対して売却しないように働き掛け、また三井銀行社長の佐藤喜一郎(横浜市出身)が「我が町の鉄道会社を守れ」と積極的に川又側の後ろ盾になり、同行を通じて防戦資金を融資して買収を防いだ。この名残で相鉄のメインバンクは現在も三井住友銀行となっており、株主|筆頭株主が小田急電鉄となっている。後にこの一件が引き金となって東急の多摩田園都市開発に対抗し、相鉄いずみ野線|いずみ野線沿線開発を行った一方、東急は相鉄沿線で二俣川東急ニュータウンや東急中白根|白根ニュータウンといった大規模開発を行うなどの競争が見られた。
戦中から戦後にかけては、厚木飛行場への輸送が行われた関係で路線基盤の増強などが進み、1942年6月から現在の東急東横線からの配電で横浜 - 西谷間が600V電化されたのを皮切りに、1943年8月から現在の小田急小田原線からの配電で海老名 - 相模大塚間が1500V電化され、1944年9月には二俣川駅を境に電圧が異なるものの本線の全線電化が完成している。なお、1946年12月に現在の京急本線からの配電に変更して全線が1500V化され、厚木貨物線の電化も1949年11月に行われた。全線の複線化も飛行場への対策としてすでに敷地を確保してあったため進捗が早く、1951年11月から西横浜 - 上星川間の複線化を皮切りに翌1952年12月までに数度に分けて希望ヶ丘駅までが複線化された。横浜方向も当時の国鉄から西横浜 - 横浜間の貨物線部分の譲渡を受けるなどして1957年1月に複線化されている。その名残りで相鉄下り線の架線柱はJR線と共用になっているところがある。その後も1960年11月までには数度に分けて大和駅までが複線化され、1964年11月には相模大塚駅までが複線化されたが、この部分は1961年1月に墜落したアメリカ海軍|米軍機が線路を横切って不通となる事故を起こされたため(この付近では1959年と1962年にも墜落事故が起きている)、その対策を兼ねて線路を掘り下げ、防護トンネルを通過する形にしている。1966年4月には大塚本町駅(当時、現在のかしわ台駅東口)まで複線化し、1967年4月にはかしわ台車両センター|かしわ台工機所(車両基地)の完成とともにここまで複線化され、1973年9月には相模国分(信号場)まで複線化し、本線の全線複線化が完成したのは海老名駅の移転後となる翌1974年3月となった。
=== いずみ野線の建設と大手私鉄への加盟 ===
1970年代に入り、運輸政策審議会の答申により平塚市方面への新線となる相鉄いずみ野線|いずみ野線を建設することになる。まず1976年4月に二俣川駅 - いずみ野駅間を開通し、その後しばらくの間宅地開発に専念して沿線の住民を増加させた後、1990年4月にいずみ中央駅まで延伸された。この開通により日本民営鉄道協会における大手としての要件を満たしたため、同年5月31日には正式に大手民鉄としての認定を受けている。この開発には前述のように東急への対抗心があったとされ、「東急田園都市線と多摩田園都市構想」に対しての「いずみ野線と緑園都市構想」と言われている。また、この時期は車両の冷房化を促進した。
同時期、日本国有鉄道(国鉄)末期に民営化議論がまだ強く推進される前に、電化されて長編成の冷房通勤電車が走る相鉄本線に対して、非電化ローカル線として取り残されていた国鉄相模線を国有化前の経営母体である相鉄に返還譲渡するという検討がされたが、現職の国鉄職員を含めての引き取り条件が妥結せず、実現しなかった。その後の對馬好次郎社長就任時には相模線買取を検討したものの果たせなかった。当時の相模線が、営業係数400を越える赤字路線であったことが実現しなかった理由として挙げられる。なお、同線はそのまま1987年4月1日にJR東日本へ継承され、1991年3月16日に電化されている。
=== バブル崩壊以後 ===
バブル崩壊以後の近年は大きくなったグループ再編が目立つ。不採算事業からの撤退・売却はもちろん、主力業種についても相次いで分社化がすすめられ、相鉄バスや相鉄不動産となった。そして、2009年には前述のようにグループ統括事業を相鉄ホールディングスに任せ、鉄道事業を分社している。2004年には連絡線の建設による他社路線を介した都内への直通構想を発表しており、2010年に着工した(神奈川東部方面線計画を参照)。この連絡線は既存のターミナルとしてきた横浜駅を経由せず、同駅を基盤に発展してきた相鉄としては苦渋の選択だったといわれるが、開通すれば沿線と都心が乗り換えなしで結ばれることになる。
== 安全対策への姿勢 ==
1968年(昭和43年)に瀬谷駅構内で車両同士の衝突事故を起こしており、それ以来全線に自動列車停止装置|ATS(自動列車停止装置)を設置している。2005年の福知山線脱線事故を機にATSの追加設置などが行われた。また、近年では運転士が意識を失っても車両の暴走を止める緊急列車停止装置|EB装置の設置が進んでいる。
車両以外の対策としても近年進んでおり、特に鉄道人身障害事故などのホームからの転落事故を防ぐ目的で横浜駅のホームに柵を設置したり、万が一転落した時避難するスペースを確保したりする工事が進んでいる。また、視覚や聴覚に障害を持つ人のためにすべての駅に文字と音で列車の接近を知らせる接近案内表示器を設置している主要駅に設置されている発車標は新陽社製を、中間駅の接近案内表示器は京三製作所製をそれぞれ採用している。横浜駅では乗車ホームに発車標が、降車ホームに接近案内表示器がそれぞれ設置されている。また、かつて海老名・大和・いずみ中央の各駅では日本信号製の発車標を使用していた。。
== 路線 ==
以下の3つの路線を持ち、すべての路線が鉄道の電化|電化されている。一般には相鉄線と呼ばれる。
相鉄本線|本線: 横浜駅 - 海老名駅 24.6km
相鉄いずみ野線|いずみ野線: 二俣川駅 - 湘南台駅 11.3km
相鉄厚木線|厚木線: 相模国分信号所 - 厚木駅|厚木操車場 2.2km(貨物運輸〈廃止〉・車両回送・車両搬入のみ)
このうち、一般の旅客が利用できるのは本線といずみ野線のみである。厚木線は本来貨物線であり、イベント時を除いて旅客は利用することができない。このほかにも1948年9月に西横浜駅から保土ヶ谷駅|国鉄保土ヶ谷駅(貨物駅)までの貨物線を開通させていたが、SM分離|東海道線・横須賀線の分離による東海道貨物線の移転とともに1979年10月をもって廃止された。
近年発生が予想される東海地震では、警戒宣言が発令された場合に本線の大和駅 (神奈川県)|大和駅 - 海老名駅間で列車の運行が中止されることになっているhttp://www.pref.kanagawa.jp/osirase/saigai/toukai_jouhou/toukai_jouhou.html 東海地震の情報と対策 神奈川県。
== 鉄道車両 ==
=== 特徴 ===
電車に関しては、主に1950年代半ばまでの中古車時代、以後2000年代初頭までの自社開発車時代、2000年代初頭以後の他社の亜流車時代に分けられる。以下では主に「自社開発時代」の「電車」について記す。
なお、2010年8月現在、鉄道友の会から賞を受けた車両は1系列も存在しない(大手私鉄では阪神電気鉄道も同様)。
==== 製造メーカー ====
蒸気機関車については初期は国外製、のちに国産に切り替えられた。続く気動車の時代は日本車両製造と汽車製造(現:川崎重工業)といった蒸気機関車時代の取引先との関係を続けた。
電車の自社開発が始まった1950年代以降は、新造車の発注は日立製作所へ、大規模な改造は地元の神奈川県に工場を持つ東急車輛製造へ統一するようになり、これが長く続いていた。しかし、1990年代以降は東急車輛製造へ新造車を発注するようになり、2000年代にはJRの製造工場である新津車両製作所へも、JR東日本の亜流車両を発注するようになった。近年は東急車輛と新津車両のみで新造しており、日立への新造車発注は、現在の所2000年が最後である。
主制御機器(モーターの制御装置)、電動機(モーター)、電動発電機(MG)や空気圧縮機(CP)などの艤装品は日立のほかにも東洋電機製造、三菱電機や日本エヤーブレーキ(現:ナブテスコ)などのメーカーも参加している。
相鉄グループ全体でエレベーターやエスカレーターはもちろん、蛍光灯などの小物類まですべてが日立製であった時期があった。これには初の自社開発車両を日立に発注したからという逸話がある同社のプレゼンテーション|デモンストレーションとしての意味合いが大きい。類似例では全線開通に際して資金面などの協力を受けた新京成電鉄と三菱電機、阪急電鉄と東芝プラントシステム株式会社.html>東芝、京阪電気鉄道と東洋電機製造との関係や、車両メーカー主導による交通システム実用化路線である東京モノレール(日立製作所)・湘南モノレール(三菱重工業・三菱電機)などの例がある。
==== 車体外観 ====
戦中戦後のころは経営基盤も弱く車両は他社の中古車両が主体であり、そのデザインも直線基調の無骨なものばかりで塗装も地味なものであった。
最初の転機は1955年に初の自社開発電車、相鉄5000系電車|初代5000系電車の登場である。この車両は当時流行の丸みを帯びた「湘南顔」と言われる前面を持つなど、スタイリングに工夫があった。しかし、当時の日本は高度経済成長に突入し、漸次増える輸送量に対して車両には柔軟な運用が求められており、構造上連結面に貫通扉を設置が困難な5000系は編成組み換えの自由度が低く、次に登場する相鉄6000系電車|6000系電車ではこの点を改善し、直線基調で分割・併合のしやすい、機能を重視したデザインに変更された。これが以後20年の相鉄の標準デザインとなってゆくが、編成を組みかえる事がほぼ無くなり、1980年代からは再びスタイルを重視し、相鉄7000系電車|新7000系電車では流行のデザインを取り入れ、1990年代には左右非対称で丸みを帯びたスタイルを相鉄8000系電車|8000系電車や相鉄9000系電車|9000系電車で採用した。
車両の配色については一貫性がないのが特徴であった。1950年代、60年代の車両は紺色を基調に灰色や赤でアクセントをつけた複雑なデザイン。1970年代以降に導入された軽量性に優れるアルミニウム合金を素材とした車両は、アルミ地の銀色にアクセントとしてオレンジ色を配し、今までの車両とは全く印象の異なるカラーリングで登場。普通鋼製の車両も、1970年代に淡い緑を基調とした明るい配色に塗り替えられており、ここ30年は緑色系統とオレンジ色系統の2種が混在している状態が続いていたが、JRと東急への直通運転が決まったことでCIを導入し、車体の配色をCIで制定されたグループカラーへ統一することが発表された。新しい配色は青色と黄色みの強いオレンジ色を用いており、今後はこの配色が標準カラーとなる予定である。
車両の幅(車両限界)はJRの在来線とほぼ同等で、他の大手私鉄の路線よりも大きめである。これは第2次世界大戦後の混乱期に運輸省から割り当てられた国鉄63系電車|63形電車を導入したことによるもので、このとき鉄道施設を63形の走行に基準を合わせている。このため、1970年代から幅広の車両が度々導入されている。一部の古い車両では側面の「行き先の駅名」の表示ができず、「急行」や「各停」といった列車種別の表示のみとなっている。路線が短く、ダイヤパターンが「急行」は本線直通、「各停」は支線(いずみ野線)直通と非常に単純だったころの名残である。
ファイル:Sotetsu-6021-inside.jpg|thumb|200px|right|ヒートポンプ式冷暖房機搭載車の車内(6021号)
屋根上にはエア・コンディショナー|冷房装置や集電用の集電装置|パンタグラフが設置されている。相鉄の冷房装置は基本的に大きな集中式冷房装置|集中式が一つ搭載されているだけであるが、9000系のみ集約分散式冷房装置|集約分散式が採用された。なお、相鉄は冷房化の開始時期や進捗が早く、1987年(昭和62年)には、戦後の新規開業路線を除いた関東地方の私鉄で初めて、冷房化率100%を達成している。一部の車両についてはヒートポンプを用いたものを試行し、のちにこれを採用した車両もある。集電装置|パンタグラフについて、1975年までの新車は国鉄旧形電車の車両形式|旧型国電車両等に使われていたPS-13形を搭載していた。通常ではパイプ製であるが、この旧式のPS-13形パンタグラフは鉄板製だった。また、相鉄ではパンタグラフを車両形式ごとに固定されておらず、全形式で使い回されていたため、最新鋭車両に旧式のPS-13形が搭載されたり、1編成の中に3種類のパンタグラフが混在していることもあった。しかし、新しいタイプのシングルアーム式パンタグラフの導入も比較的早く、1994年には実車試験も始められており、2000年代には採用車両が増えてきている。
==== 車内設備 ====
他社に比べて特異な車内設備が多い。
相鉄にはパワーウィンドウ仕様の車両が多く存在する。今日の自動車では標準的な装備だが、鉄道車両には極めて珍しい。相鉄では1970年代初めに日本の一般営業用車両として初めて採用し、のちに関西の私鉄などがこれに追従した。4扉の通勤形電車では珍しい鉄道車両の座席|セミクロスシート(ボックスシート+ロングシート)を編成中混雑度が低い2両に採用された。のちにJR東日本が、それまで首都圏の近郊形車両として3扉車に採用していたセミクロスシートをJR東日本E217系電車|E217系電車など、相鉄同様の4扉車にも採用された。車内に数枚備え付けられた紙の寸法|B5版ほどの鏡も、他社では江ノ島電鉄などにしか見られない設備である。一部の古い形式では、扇風機のスイッチが各車両の海側の各ドア右側に一つずつ設置されており、乗客が自由に扇風機の作動させることができるようになっている他社では、乗務員室に設置されており、車掌が一括で操作することが多い。。
==== 走行設備 ====
他社に比べて新技術の採用に乏しく、非常に保守的であった。
終戦からの中古車主体の頃の台車は主に日本国有鉄道|国鉄型(DT-10系やDT-13など)や住友金属工業|住友KS-30Lなどのいわゆるイコライザー・タイプのものが使用されていたが、5000系から採用された物は「直角カルダン駆動方式|直角カルダン駆動」や「電磁直通ブレーキ」など当時の最新技術を盛り込んだ意欲作であった。しかし、技術が進歩するなか、他社では廃れた後もこれらの技術に固執し、近年まで採用を続けていた。同時に技術の革新から取り残され、またコスト面でも不利であった。以下はそれらの中の代表的な例。
直角カルダン駆動 (他社ではカルダン駆動方式|平行カルダン駆動に移行)
車輪外側に設置したディスクブレーキ (一般的なディスクブレーキは車輪内側に設置されるが、直角カルダン駆動の構造上外側に設置せざるを得なく、バネ下加重が増している。)
日立式電磁直通ブレーキ (これは指令伝達方式が非常に珍しく、日立が開発した独自規格。正式名称は「電磁直通弁式電磁直通空気ブレーキ」)
モーターの制御方式は電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御
このうち後者2つは1990年代前半までに解消されたものの、前者2つは最後まで固執し続けていた。なお、モーターの制御方式は国鉄やほかの大手私鉄では一般的であったチョッパ制御を経ずに、可変電圧可変周波数制御に移行が進んだ。
==== 車両の標準化 ====
このように特殊な設備が多かった相鉄の車両であるが、2002年(平成14年)の相鉄10000系電車|10000系電車は、思想を180度方針転換したものとなった。この車両は大手私鉄では一般的な「車両はオーダーメイド」という慣習には沿わず、他社がすでに運行している車両を基に設計したもの、つまりレディ・メイドのものを細かい部分のみ、自社向けにアレンジして導入したものである。これは最新技術を低コストで成し遂げる方法としては一般的な方法だが、当時の大手私鉄では例のないことであった。「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」が制定され、他の大手私鉄にも影響を与えた。
==== 地方私鉄への譲渡 ====
自社で車両を新造するようになってからは、上記の技術的特徴や、大手私鉄で最も大きい車両限界等を理由に、地方の私鉄や日本国外への車両払い下げ自体が敬遠されている。1970年代に伊豆箱根鉄道へ旧型車2000系の車体を転出(150形、事業用として1両が残存→「伊豆箱根鉄道モハ151形電車」参照)した以降は、転出や譲渡の例がない。
過去には、地方私鉄で使いやすい車両が揃っていて、比較的コンスタントに譲渡車があった。旧相模鉄道・神中鉄道時代の車両も含めると、電車から気動車、客車、果てはSLや貨車に至るまで100両ほどあり、譲渡先からの再転出分も含めるとほぼ日本全国で足跡を残している。
=== 車両番号の付け方 ===
10000系までの電車では鉄道の車両番号|車両番号には車両の役割に応じたものを付けるようにしており、百の位の数字で区別できるようになっている。例外もあり詳しくは各系列の記事に譲るものの、以下に主な例を示す。
000番台…横浜側に組成される制御車|制御電動車(例:6000系の6021、5000系の5053)
100・200・300番台…中間動力車|電動車(例:8000系の8119、8000系の8219、10000系の10301)
500番台…海老名・湘南台側に組成される制御車(例:9000系の9502)
600番台…中間付随車(例:5000系の5657)
700番台…横浜側に組成される制御車(例:7000系の7703)
ただし、2008年秋から導入した相鉄11000系電車|11000系電車は第一編成が横浜側から11001,11101…11901、第二編成が同11002,11102…11902と順番に番号を振られている。すなわち末尾の数字が編成を表し、百位の数字が編成中の号車を表す(1号車は0、2号車は1、…、10号車は9)ものに変更されており、この番号の付け方の法則は成り立たない。
=== 現有車両 ===
事業用の車両を含め、現在在籍するすべての系列は電車である。各系列の在籍期間、車両数、運用などについては、それぞれの記事を参照されたい。前述のように、現在車両の塗装変更が進んでいる。
乗客の増加とともに、1編成当たりの車両数を徐々に増やし、1980年代前半からは10両編成を中心に製造してきたが、近年は利用者の減少などで2002年の10000系20両以来中断されたていた。しかし、JR直通を意識して2009年に登場した11000系では、再び10両編成車の製造が行われている。かつては相模川の砂利やセメント輸送、米軍基地の貨物輸送を行っていた関係で、貨車や電気機関車も在籍していた。ただし、多くの貨車は私有貨車であったために、相模鉄道として所有するものは少ない。また、前述のように近年の車両は走行設備が特殊な車両が多く、地方私鉄への譲渡車両は30年以上全く出ていない状況が続いている。
==== 一般型車両 ====
相鉄11000系電車|11000系 - JR東日本の通勤型車両をベースにした車両
相鉄10000系電車|10000系 - 同上
相鉄9000系電車|9000系
相鉄8000系電車|8000系
相鉄7000系電車#新7000系|新7000系
相鉄7000系電車|7000系
File:Sagami Railway 11000 Sagami-Otsuka for Yokohama.jpg|11000系
File:Sagami_Railway_10000.jpg|10000系
File:Sotetsu 9000 new.jpg|9000系
File:Soutetu8000 newcolor.jpg|8000系
File:Sotetsu-new7000.jpg|新7000系
==== 事業用車両 ====
相鉄7000系電車#事業用車(モヤ700形)|700系 - 7000系から改造された計測・救援用電車
このほかに車籍は有しないものの、各種保線用のモーターカーがある。
=== 廃系列 ===
相模鉄道の蒸気機関車
相模鉄道の気動車
相模鉄道の客車
==== 一般型車両(電車) ====
相鉄6000系電車#新6000系|新6000系
相鉄6000系電車#旧6000系|旧6000系 - 2両がかしわ台車両センターに静態保存されている。
相鉄5000系電車|5000系
相鉄3000系電車|3000系
相鉄2000系電車|2100系
相鉄2000系電車|2000系モハ2000形 - 一部をモニ2000形や2100系に改造した。一部伊予鉄道や伊豆箱根鉄道へ転出及び譲渡。
相鉄1000系電車|1000系
==== 事業用車・貨車 ====
相鉄2000系電車|2000系モニ2000形 - 事業用電車(元は旅客車両で荷物電車を得て事業用に改造)。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄ED10形電気機関車|ED10形 - 電気機関車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄トフ400形貨車|トフ400形 - 貨車。1両がかしわ台車両センターに保存されている。
相鉄トム260形貨車|トム260形 - 貨車。
相鉄トム600形貨車|トム600形 - 同上。
相鉄ホキ800形貨車|ホキ800形 - 同上
。
=== 車両基地・工場 ===
車両工場を1つ持ち、いくつかの駅に隣接して車両基地(留置線)がある。
かしわ台車両センター - かしわ台駅に隣接する相鉄の全車両の検査や改造を扱う工場、および相鉄最大の車両基地。
西横浜駅 - 列車留置の機能のみ。
相模大塚駅 - 同上。
厚木駅 - 同上。相鉄公式には厚木貨物駅と称される。
このほかにいくつかの駅では車両の夜間滞泊が行われる。
=== 乗務員区 ===
かしわ台車掌区
「車掌|旅客専務車掌」(JRでいう乗客専務車掌、車内での乗客サービスのみを行う)による車内巡回が行われており(主に本線)、不足賃|乗り越し精算、連絡運輸#連絡乗車券|他社線連絡乗車券の発売などを行っており、大手私鉄、特に料金不要の列車しか運行していない会社では、珍しい存在になりつつある。以前は6000系の柄のものなど車掌区オリジナルのパスネットも発売していた。人員削減や合理化により車掌の車内巡回そのものを取りやめる会社が増える中、乗客サービス専門の車掌が車内を巡回する姿は貴重となっている。
== 乗車券 ==
=== 運賃 ===
大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2004年12月1日現在。
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center"
|-
!キロ程!!運賃(円)
|-
|初乗り3km||140
|-
|4 - 7||170
|-
|8 - 11||190
|-
|12 - 15||220
|-
|16 - 19||250
|-
|20 - 23||270
|-
|24 - 25||300
|}
いずみ野線に跨って乗車する場合は、同線内の乗車区間・キロ数に応じた加算運賃が必要となる。
{| class="wikitable" rules="all" style="text-align:center"
|+いずみ野線運賃加算額
|-
|乗車キロ数||6kmまで||7 - 9km
|-
|二俣川 - いずみ中央||20円||40円
|-
|いずみ中央 - 湘南台||colspan="2"|30円
|}
各区間を跨って乗車する場合はそれぞれの額の合計が加算額となる(例:いずみ野 - 湘南台間の場合はいずみ野 - いずみ中央間が2.2kmなので「二俣川 - いずみ中央6kmまでの加算額20円」 + 「いずみ中央 - 湘南台の加算額30円」 = 50円)。
=== 1日乗車券 ===
2005年から毎年、夏から11月にかけて相鉄全線(バスを除く)が乗り降り自由な「相鉄・鉄道全線1日乗車券」を大人600円・小児300円で発売している。発売期間は2005年と2006年が8月1日 - 11月30日であったが、2007年以降は期間が7月下旬からに拡大されている。
さらに、2007年7月1日からは横浜都心部の横浜市営地下鉄ブルーラインと横浜市営バスが乗り降り自由な「相鉄発 みなとぶらりチケット」を横浜駅と湘南台駅を除く各駅で発売している。
=== フリーパス ===
相鉄は、上記の経緯により小田急電鉄との関係が深く、小田急線で発売している各種フリーパスも発売している。特典には相鉄線乗車駅から小田急線乗り換え駅(大和駅または海老名駅)までの往復割引乗車券が追加されている(湘南台駅乗り換えは発売していないため、いずみ中央駅などいずみ野線内で江の島・鎌倉フリーパスを購入しても大和駅経由になる)。そのため、パンフレットも小田急と同じものが使われている。
箱根フリーパス|箱根フリーパス・箱根ウィークデーパス
江の島・鎌倉フリーパス
=== 特別乗車券 ===
==== ゆめきぼ切符 ====
自社路線に存在する希望ヶ丘駅とゆめが丘駅の間の乗車券で、駅名にかけて「夢と希望を結ぶ」として縁起物として売り出しているものである。以前は往復乗車券の様式で発売していたが、現在は「希望ヶ丘駅→ゆめが丘駅」と「ゆめが丘駅→希望ヶ丘駅」の2種類で発売されている。年中販売しているのだが、特に受験シーズンは人気で、この時期になると、購入者に特製の絵馬がプレゼントされる。これに合わせて両駅には絵馬掛けが設置され、掛けられた絵馬はシーズンオフになると寒川神社に奉納した上で「お焚き上げ」される。
==== 特製入場券 ====
特に告知していないが、相鉄線各駅では硬券入場券を販売している。昔の駅舎写真を印刷したはがき#無地はがきと絵はがき|ポストカードがもらえることがある。なお、創立90周年を記念して入場券セットを発売したことがある。
== 今後の予定・計画 ==
=== 立体交差事業 ===
和田町駅東方から天王町駅(保土ケ谷区東部地域)まで約1.8kmの連続立体交差事業が着工されており、2012年度に竣工する予定である。完成後は星川駅 (神奈川県)|星川駅が2面4線(現在と同じ)、天王町駅が島式ホーム1面2線の高架駅にそれぞれ改築される。これに関連して星川駅構内にあった留置線と車掌区は西横浜駅へ移転した。なお、天王町駅は1968年から、2面2線の高架式ホームとなっている。
=== 東京都心方面への乗り入れ計画 ===
かつて運輸政策審議会の答申による「神奈川東部方面線」として、相鉄側がいずみ野線を二俣川駅から延伸して新横浜駅までを建設し、東京急行電鉄が東急東横線|東横線大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅から新横浜駅まで新線を建設。これら2路線を接続させて直通運転|相互直通運転を行う計画が持ち上がったが、計画は長らく進まなかった上バブル崩壊のあおりも受け、この計画は事実上頓挫していた。
その後、相鉄はJR東日本に対して相互直通運転の計画を持ちかけ、2004年9月にJRとの相互直通運転計画を相鉄側が発表した。さらに2006年には東急との相互直通運転も実施すると発表され、JRとの相互直通運転を「相鉄・JR直通線」、東急との相互直通運転を「相鉄・東急直通線」とし、当初の神奈川東部方面線とは多少経路が変更されているものの、これら2路線を合わせて「神奈川東部方面線」(いずれも仮称)を形成することとした。なお、東急との接続路線は当初予定されていた東横線から東急目黒線|目黒線に計画が変更されている。
=== 特急の導入計画 ===
前述した神奈川東部方面線計画と関連し、本線全区間において通過運転を行う新たな列車種別|種別として「特別急行列車|特急」の導入が検討されている。そのため、瀬谷駅を上り線のみ待避可能な2面3線から上下線待避可能な2面4線に整備する工事を行っている。これは、横浜駅を経由しない神奈川東部方面線が実現すると、同駅が空洞化されるのではないかとの声があることから、相鉄グループ全体を挙げてのプロジェクトの一環である2009年11月1日付東京新聞より http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20091101/CK2009110102000060.html。
=== 海老名駅の改築 ===
近年のバリアフリー化に伴い、エスカレータとエレベーターの設置を順次進めている。中でも、海老名駅については小田急と相鉄の駅舎がともに老朽化し、かつ手狭にもなっていることから、新しい駅舎を建設することになった(小田急は新築、相鉄は一部改良)。その際に当時の厚木市長の呼び掛けで両者関係者出席の下で相鉄の駅から小田急小田原線本厚木駅への乗り入れに関するシンポジウムが開催されたが、海老名駅の新築計画が白紙になることや、相鉄の筆頭株主である小田急側が難色を示していることもあり、今後の動向が注目されている。これは、相鉄側の主張によると、小田急線のみならず、他社線との相互直通については利便性向上や沿線価値の向上、新たな輸送需要喚起になるため、今後の研究課題としている。しかしながら、
# 車両や運転保安設備などに互換性がない。
# 小田急とのダイヤ調整が必要である。
# 海老名駅の構造など大規模な設備投資が必要。
などの課題があり、実現性が乏しいとしている。
そのような中で、横浜駅に次ぐターミナル駅でもある海老名駅のホームを改修し、幅をおよそ4割拡張する。2007年秋から仮設乗り場の建設を行っており、当初は2008年9月までに完成させることが発表されたが、工事が遅れ翌2009年6月に竣工した。
=== その他の予定・計画 ===
神奈川東部方面線に関連して、いずみ野線湘南台 - JR東海道本線平塚駅|平塚間の延伸計画もあるが、こちらは上記の都心直通計画が実現した後に取り掛かるとされている。2009年には、相鉄による本延伸計画の免特許期限が切れたが、10年延長されている。また、採算性の問題などから同区間内を大型の鉄道ではなくコストが比較的安価なライトレール|LRTにより結ぶべきという声もある。
本線の二俣川駅から横浜駅まで地下新線を建設し、複々線化する構想もあったが、乗客数の増加が止まり構想が流れているため、神奈川東部方面線の建設に移行している。
駅の案内サインを2007年12月中旬に変更したさがみ野駅を皮切りに、バリアフリーを取り入れ、発光ダイオード|LED照明を利用した省エネルギー|省エネタイプのものに順次交換予定である(平沼橋駅の横浜寄り1か所の駅名標もこの仕様)。このサイン計画はかつての営団地下鉄や横浜高速鉄道みなとみらい21線|みなとみらい線等、多くの公共空間のサイン計画を主導した黎デザイン社が手がけている。新サイン計画では、一部に中国語や朝鮮語|韓国語の表記も用いられている上、改札付近には近隣鉄道のネットワーク図も新たに設けられている。将来に備えてか、さがみ野駅の横浜方面の案内板には「横浜 新宿 渋谷方面」と表記された案内が見られた事もあったが、その後「大和 二俣川 横浜方面」に変更された。
各駅に冷暖房完備の待合室を設置する予定である。
== 提携など ==
東日本旅客鉄道 - 相互乗り入れ予定
東京急行電鉄 - 同上
東京地下鉄 - 南北線からは乗り入れ予定、東京地下鉄副都心線|副都心線からは未定
東京都交通局 - 相互乗り入れ予定
埼玉高速鉄道 - 同上。これにより相鉄の列車は東京都および一部は埼玉県まで運行される予定である。
東武鉄道 - 未定
== 関連する作品 ==
百獣戦隊ガオレンジャー - スーパー戦隊シリーズ25作目で、相鉄の駅の数と同じことから2001年にタイアップして同社でスタンプラリーが実施された。
早春スケッチブック - 1983年に放送されたフジ日本精糖株式会社.html>フジテレビジョン|フジ日本精糖株式会社.html>フジテレビ系列のテレビドラマ。本線希望ヶ丘駅周辺が舞台。
天才柳沢教授の生活 - フジ日本精糖株式会社.html>フジテレビ系列のテレビドラマ。作中の柳沢教授の自宅最寄り駅は希望ヶ丘駅である。
コータローまかりとおる! - 週刊少年マガジンに1982年から1994年連載された漫画。著者である蛭田達也にゆかりのある地名「鶴ヶ峰」「阿久和」「希望が丘」等の名称が多く見られる。
== 関連項目 ==
相鉄グループ
相鉄バス
相鉄ホールディングス
== 脚注 ==
== 参考文献 ==
『相鉄七十年史』相模鉄道
長谷川弘和 『横浜の鉄道物語 陸蒸気からみなとみらい線まで』 ジェイティービー|JTBパブリッシング 2004年 ISBN 4-533-05622-9
== 外部リンク ==
http://www.sotetsu.co.jp/ 相模鉄道ホームページ
http://www.sotetsu.co.jp/train/into_tokyo/ 相模鉄道 都心直通プロジェクト
http://www.sotetsu-lu.or.jp/ 相模鉄道労働組合
http://ameblo.jp/shin-stkrouso/ 新相鉄労働組合
相模鉄道|
国有化された日本の鉄道事業者
大手私鉄・準大手私鉄
日本の鉄道事業者
西区 (横浜市)の企業
相鉄グループ|
en:Sagami Railway
ko:사가미 철도
zh:相模鐵道
一部参照元: Wikipedia
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